しあわせの歌

石原 健治作詞
木下 航二作曲

しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう

しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
今の今をより美しく つらぬき通して生きること
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう

しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り
働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう


右の写真は作詞者の石原健治です。(うたごえ新聞より)

この曲は、1955年月の電産労組で募集当選した歌です。
石原健治は、岡山県津山市の電気労働者で、家庭などのメーターを調べに来る検針員をしていました。
肉親を広島の原爆で失い、誰にもまして、平和なしあわせを願う気持ちをもっており、それがこの曲の詩になりました。
多くの応募作品のなかから、野間宏などの選考委員によって選ばれたこの詩が選ばれ、木下航二によって、曲が付けられました。木下航二は詩がとっても良いため、それに見合う曲を作るのに、締め切りを1週間も過ぎてしまったほどです。
実は裏話に、このとき曲にはもうひとつの候補があり、木下航二自身は、そちらのほうがいい、と思っていたそうです。
しかし、中央合唱団の人たちが、「とてもいい、きっと広まる」と確信していたのですが、この時点で、木下航二自身は半信半疑だったとか。

とにかく、この曲は、日本のうたごえに向けた組合歌の枠をこえて、かつてないほどのスピードで日本中に広まりました。
映画「胸より胸に」や「浮草日記」の主題歌になったり、雑誌「平凡」や「明星」、新聞にも取り上げられています。

石原健治さんのお名前ですが、当時のうたごえ新聞では、「健二」になってますが、最近の楽譜では、「健治」と記載されています。

JASRAC情報

製作日誌:
平成10年6月27日 本ページの作成
平成15年7月6日 池ヶ谷さんのご指摘で歌詞の訂正。ひびくこばまを→こだまを
平成21年5月23日 コメントを書き換え