炭鉱節

【作詞】日本民謡
【採譜】千藤幸蔵

1.月が出た出た 月が出た
  (ヨイヨイ)
  家(ウチ)のお山の 上に出た
  あんまり煙突が高いので
  さぞやお月さん 煙たかろ
  (サノヨイヨイ)

2.一山二山 三山越え
  奥に咲いたる 八重椿
  なんぼ色よく 咲いたとて
  様ちゃんが通わにゃ 仇の花

3.あなたがその気で 云うのなら
  思い切ります 別れます
  元の娘の 十八に
  返してくれたら 別れます

4.お札を枕に 寝るよりも
  月が射し込む あばら家で
  主の腕(かいな)に ほんのりと
  私ゃ抱かれて 暮らしたい

5.竪坑千尺 二千尺
  下りゃ様ちゃんの ツルの音
  ままになるなら あのそばで
  私も掘りたや 黒ダイヤ


日本の民謡・西日本編 社会思想社 現代教養文庫 長田暁ニ・千藤幸蔵編著から

「一山二山三山」は、三井の田川炭坑の西北にある香春岳のことで、一の岳から三の岳まであります。
「様ちゃん」は、ダンナというより、愛人に近い言い方。
そもそも、炭鉱節の元歌は東京の「月が出た出た 月が出た セメント会社の上に出た 東京に煙突が 多いから さぞやお月さま けむたかろ」で、大正初期に田川市に流れて「炭鉱節」となっていったとの事です。
最初は、選炭作業場の労働歌として歌われてました。

Maekawaさんからのリクエストです。
そのMaekawaさんからのコメントです。
 非常に露骨でイヤな差別用語なのですが、「炭坑節」がエッタ節とかエタ節と呼ばれていたことをご存知だったでしょうか。
 炭鉱作家と言われていた上野英信の「どきゅめんと筑豊」という著書によりますと、上野英信が炭坑夫として働いていた昭和23年ころ、同炭坑長屋で仲間と酒を飲み交わしながら、「炭坑節」を唄っていたとき、その家の老婆が、上野英信らに向かって、「ほんなこて、世の中も変われば変わるもんたいなし。あたいたちが昔坑内に下がりよった時分は、こげな歌どもおおっぴらにうたおうもんなら、コラッ、エタ節をうたうな!ちゅうて怒鳴りあげられたもんたい。いまは時代が変わって炭坑節ちゅうごとなったが、昔はなし、みんなこの歌のことをエッタ節とかエタ節とか、こげなふうに言いよった」と語る場面があります。
 そしてこの炭坑節について上野英信は、「コールマンソングと英訳されていまや国際的でさえある日本の代表的な民謡は、現在もなおもっともきびしい差別にあえいでいる人々の遺産であり、日本民族の”黒人霊歌”であるということもできる」と述べておりました。

 「炭坑節」は、労働歌とはまた違うのでしょうかね。でも、その元となったと言われている「ゴットン節(三井田川伊田坑)」の歌詞の一部「七つ八つからカンテラ下げて 坑内下がるも親の罰」「親の因果が子にまでむくい 長い坑道でスラを曳く」 「唐津ゲザイ人がスラ曳く姿 どんな絵描きも描きゃきらぬ」という箇所や、「三井田川大藪炭坑選炭唄」の歌詞の一部「あなた三井 のお役人 わたしゃ卑しい選炭婦 なんぼあなたに惚れたとてよもや女房にゃなさるまい」という箇所から、当時炭坑で労働せざるを得なかった者たちの辛さ苦しさ、また、社会に対し何かを訴えたい気持ちが伝わってきませんか。
 そういう意味からすれば、これは立派な労働歌だと私は思うのです。

マイドのロック版ですが、あしからず。....って云うか、まあ、最近多いじゃないですか、ロック・ソーランとかさ。

万田炭鉱館(熊本県荒尾市)
でみた手掘り採鉱の様子。当初は、このように、夫婦一組で息を合わせた労働ですた。

しかし、女性の坑内労働が廃止され、女性は選炭作業しかできなくなりました。
5番の歌詞にはそういう背景があるようです。
選炭作業場

JASRAC情報

製作日誌:
平成16年9月26日 歌詞のみ
平成16年10月3日 MIDIとコメントをアップ