あの | をたずねて |
改装後の西武新宿駅前の「灯」 ミュージック専科2 より |
現在の「灯ビル」 H15.6.14撮影 |
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「灯」は、ジンギスカン料理屋をやっていたロシア人が、手持ちのロシア民謡などのレコードを店の中で流していたところ、お客さんが自然発生的に歌を歌いだした事から、1951年に「うたごえのみせ 灯」としてスタートしています。 |
ロッテリアの左側にビルの入り口がありました。 明行社は、当時から、出版物(歌集など)の管理をしてました。
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【1956年開店当時の様子】
歌声喫茶「灯」の青春 娘の明日果さんが、自分の母親が一人の女性であったときの青春を尋ねまわるというストーリです。当時、社会現象にまでなったうたごえ喫茶誕生のいきさつなど貴重な記録としても大変面白く読ませていただきました。 さて... エーちゃんが19歳の1968年頃、この「灯」でバイトをしておりましたが、当時のつたない記憶をたどっても、水野里矢さんらしい人が出てきません。 |
歌声喫茶「灯」の青春 著者 丸山明日果 出版 株式会社集英社 700円 2002年11月20日初版 |
社長さんは確かに柴田さんでしたが、ボクから見て、おじさんでしたね。とても学生上がりの青年実業家には見えませんでした。 営業部長もたしか柴田さん。やや若かったように記憶してます。 総務部長は野沢さん。結構なお年でした。一度、バイト明けにゴーゴー(トレビ)に行くんで、給料の前借をしたことがありました。 経理部長が、柴田快さん。 企画部長が伊藤レイ子さん。この下でバイトしてたんですが、企画部員は、ステキなお姉さまの内田美波さん「ナーちゃん」。やはりアルバイトで桑美の男性がいました。 受付にいつもベレー帽をかぶったステキな女性がいました。この方が水野さんなのかなと思ったんですが、新ビルには行っていないんですね。 ステージでは、リーダーとして、 |
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山之口さんは、「帰って来たヨッパライ」のあの独特な声色が得意でした 一番左はピアノの斎藤惇さん。 元々は、労音などで、フルバンド演奏をしてましたが、柴田伸さんに見出されて、ともしびでベース、ドラムを加えたトリオを結成しました。 演出家さんがいるんですよ。ステージでは、うたごえタイムとショータイム(ともしびフェスティバル)がありました。このショータイムの台本を作っている演出家さんがいて、どちらかというとお笑い系の方でした。同じようなことを繰り返して3回も言わせる台詞を作っているんですね。「エーちゃん、この3回目で、ドッと笑いが来るよ」とおっしゃってました。確かに受けるんですね、これが。どういう理屈でこのように計算できるか、30年以上も経った今でもナゾです。 |
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歌集は、色々なデザインがありますが、これは昭和43年当時のもの。【H17.5.6追加】 |
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「灯歌集」のほかに、ミュージック専科1.2.3(各200円)がありました。 |
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がんばれ!丸山明日香さん
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平成15年6月14日 | Yoshikoさんと西武新宿前の現地を訪れ、その後、カチューシャの木村さんに取材。6/15にこのページを作成。 |
平成15年8月9日 | 「歌声喫茶『灯』の青春」のページと合体 |
平成15年9月18日 | ミュージック専科の解説を追加 |
平成17年5月6日 | 灯歌集の解説を追加。Special Thanks to Ms.ISHIKAWA クリックすると各ページにジャンプ バックにNewVersionのともしびを作成しました。ビギン調です。 |
平成20年1月19日 | 灯の当時の舞台写真のリーダーたち、近藤さんの右側の女性の名前が分かりました。近藤さんから連絡をいただきました。 |