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赤い実

【作詞】韮沢  森
【作曲】石原いっき
【MIDI作成協力】マルちゃん

五月の季節は サクランボの季節
畑いっぱいに 赤い実がなるよ

去年もおととしも うちの裏の畑で
かごに何ばいも 赤い実をつんだ

けれども今年の サクランボの季節
冷たい霜に 赤い実が死んだ

赤い実が死んだ その日の晩に
おとうは畑で のどを切って死んだ

サクランボの他にゃ なんにもつくっちゃなんねいと
いったそいつが おとうを殺した

五月の季節は サクランボの季節
畑いっぱいに 赤い実がなるよ


石原いっきさんにお話を伺いましたが、作詞者とは面識がなくこの曲の背景については今ひとつ不明ですが、農業政策のあおりで他のものが作れなくなり、自殺者まで出した、ということがあったそうです。

1976年5月23日に「石原いっき&青山義久オリジナルコンサート」が開催されております。
その中で紹介された曲です。

単品経済と言うのは、かなりリスクを伴います。
もっとも、複合系も煩雑さ、という点からいうと、甲乙つけがたい難しさがあります。
ヘンな例ですが、毎日お世話になっているお昼の定食屋さん。
本日の定食に、あと定番メニューが数種類。これって結構合理的ですよね。
近所のオバちゃんたち3人で、洗い場、配膳、レジまでこなしてます。
ところが、そのとなりの中華料理屋さん。ラーメンから始まって、チャーハン、ニラレバ、中華丼に餃子とシュウマイ。それを一人のコックさんが賄っているんですから、中華料理ってこういう芸当ができるビジネスモデルなんですね。
ところが、そのとなりのカレー屋さんは、まさに単品商売。トッピングで違いはあるものの、結構楽な対応だと思います。ところが、調理場、フロア、レジにそれぞれ担当がいるんです。
それぞれどこに労力投入を図るかは、扱っている食材と料理方法とタイミングで変わってくるのでしょう。

ところが、農政って、どうもこういう街のノウハウが生かされていないんじゃないかな。
いま読んでいる本。司馬遼太郎の「菜の花の沖」。読んだ方も多いことでしょう。
江戸時代に商品経済が勃興してきて、武士階級がお世話になりつつも、体制の基本である農本主義を守るために商人階級を認めないような背景の中で、主人公の船乗りが時代の波にもまれてゆく姿を書いてます。
「飛ぶが如く」を読むのに、エライ苦労しましたが、「菜の花の沖」はスイスイと読めますね。
で、当時の武士階級、とにかくトンチンカンなことをやってましたけど、今の(いや、この曲の当時の)官僚体制をそのまま見ているようです。

JASRAC情報はありません

製作日誌:
平成18年3月18日 歌詞のみ
平成18年3月26日 MIDIをアップ