明日はワルシャワJUTRO WARSZAWA
【作詞】Wojciech Mlynarski
【作曲】Wojchiech Pietowski
【訳詞】水車楽団
この曲の歌詞は、「インタラクティブ配信で外国作品を可視的利用する場合の許諾条件」に合致しないため、掲載が出来ません。
この曲の背景を調べようとネット検索をしましたが、さっぱりでした。
わかったのは、タイトルのJUTROがポーランド語でTommorrowという意味であると云うこと。
1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまり、続いてソ連軍が侵入してきて,国土はドイツとソ連の分割統治になります。最終的にソ連の軍事力によってドイツの占領支配から「解放」されたわけですが、そのソ連にもポーランドはズタズタにされていました。ゴルバチョフ時代のペレストロイカで、第二次世界大戦初期のころのソ連軍によるポーランド将校数千人の虐殺のベールが取り払われるなど、とにかく、ドイツとソ連に痛めつけられた歴史です。
ワルシャワ蜂起。1944年8月1日に、ポーランド地下軍(国内軍)とワルシャワ市民とによるドイツ占領軍に対して一斉に蜂起します。しかし、軍事的な反ドイツ的な性格に対して、政治的には反ソ連的な色彩もあり、この蜂起に対してソ連からは支援されず、結局、ドイツ軍の反撃による20万人の死者と全市の破壊で終結します。
戦後、ポーランド統一労働者党の体制になりますが、戦争で失った東側は結局戻らず仕舞い。ドイツ側を取り戻すのが精々だった様です。ワルシャワ条約機構にも加盟してソ連べったりでしたが、1980年になって自主独立労働組合「連帯」が力をつけて、89年6月の選挙で連帯が勝利を収め、90年末にワレサ議長が大統領に就任したわけです。
その前の1970年に、連帯の誕生の地、グダンスクで「パンと自由」を求めて起きた食料品の値上げに反対する12月事件が起こります。
これを契機に、戦後の一時代を築いてきた民族系のゴムウカ政権が崩壊しギエレク政権が誕生します。
この曲は、その12月事件の折りに、1944年のワルシャワ蜂起に思いを込めて歌われたといわれてます。
MIDIですが、前半は四拍子、後半は、八分の六拍子です。
製作日誌:
平成18年1月3日 | 歌詞のみ |
平成18年1月15日 | MIDIを作成 |
平成18年1月22日 | 横井久美子版では、前半を語り調、後半を6/8拍子のマーチになっていますので、手直ししました。 曲の背景について、Ozekiさんから種々資料をいただきました。ありがとうございます。 |