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インシャラー INCH ALLAH

【作詞・作曲】サルバトーレ・アダモ Salvatore Adamo
【MIDIデータ作成】Iwakichsky

この曲の歌詞は、「インタラクティブ配信で外国作品を可視的利用する場合の許諾条件」に合致しないため、掲載が出来ません。
ともしび歌集「うたの世界533」などをご参照ください


1966年発表。作者が中東へ旅行に行ったときにイメージして作った曲。また映画の主題歌らしいのですが、詳しいことはよく知りません。しかし、アッラーと出てくるから中東戦争のパレスチナ側の立場に立った歌だということは解ります。検索によるとインシャラーは「神の思し召しのままに」という意味だそうです。

検索で調べた原語らしきもの(何故か6 millionsという英語が^^;)です。
加藤登紀子版とともしびの版は歌詞が類似しています。ともしびでは時々リクエストがありいい曲だと思っていた歌の一つです。

 約定のため掲載出来ないとは残念です。3つほど訳詞を用意したのですが…。曲自体もなかなかよいものですが歌詞に大きな意味を持った歌なので是非とも歌集をご購入ください。音楽センターの愛唱歌集には載っていますが12,000円と高いです。しかし「のび」との連携も容易となるのではないかと思います。ともしび歌集は850円ですが、残念ながら旧歌集には掲載されているんですが、新歌集にはインシャラーはずされてありません。恐らくこれも著作権法のためでしょう。それぞれ載せてある歌詞は異なっています。
 大意としては、自然の美しさを歌いながら戦争が忍び寄ってきてどうにもならぬ状態となり神に平和祈りを捧げている様子を歌ったものです。加藤登紀子版は更に恋愛がらみの歌詞となっています。 (Iwakichsky)

【歌い方】
前奏はありませんので、即、歌いだしてください

フクロウさんからの参考ご意見(H15.8.30掲示板から転載)

インシャラーはもう少し違ったニュアンスだと思うのです。確かにケセラセラなるようになるさですが、その奥に苦悩とそして希望が見え隠れします。

 昔、沖縄で『てえげえ』という言葉を聞きました。内地では体外と同じ意味ですが、曖昧、いい加減ということです。でも沖縄では物事をはっきりさせないで流す、相手の主張や、要求を広く受け止めて屈するのではなく飲み込む、それでいて自分の主張を曲げないで同化する意味合いです。確かに沖縄の文化は琉球王朝時代から周囲の大国の主張をてえげえに受け流しながら巧みに取り入れ根に持つ沖縄の文化に同化させ、より高度な文化を築いてきました。音楽でも、中国、日本、アメリカの影響を受けながらしかし一度聞いただけで沖縄の音楽だと感じさせるものを作ってきました。

 沖縄の支配者への抵抗は、決して正面きって戦闘を挑むのではなく、自分たちの文化を守り伝え、作りながら、訴え続けてきたことだと思います。支配者と同居しながら決して支配に完全服従することなく、ケジメをはっきりさせないでじわじわと自分の領域を広げていく。気の遠くなるような時間と作業ですがなん世代にもわたって続けていく。江戸時代の薩摩藩の支配の歴史の中で独自の文化と考え方を保ち、作り上げてきた。

 アラブのインシャラーも別の意味でこの『てえげえ』と似たニュアンスを感じます。沖縄とは正反対の意味である種の確固とした信念(頑固さといってもいい)の曖昧表現です。

 中東のアラブ社会も長い欧米の支配を受けてきました。(現在もほとんど、アメリカの支配、または影響下にあります)

 しかし、16世紀世紀までは間違いなく、文化、技術、国力で世界のトップクラスだったのです。航海術、化学、芸術、戦力でもむしろヨーロッパ諸国を上回っていました。火薬、鍍金、電池(バグダード電池)など当時のアラブ社会での発明品です。火薬はその後支配者のモンゴル人の手によって使われ、世界中に広がりました。鍍金に使うフェロシアン化カリウムを動物の血から採取し、アスファルトで固めたつぼに取り付けた金属片から電気を取り出し(電池)電気鍍金する技術はヨーロッパでの錬金術の元になりました。

 十字軍の遠征が何百年にも渡ったのはそれだけ当時のイスラム勢力が強かったからです。軍楽隊(私説)もアラブ軍の特徴でした。十字軍遠征を経てヨーロッパに伝わったものです。

 その後、ヨーロッパの大航海時代(これとてもアラブ商人の海のシルクロードが何世紀も前)、更にアラブ勢力の衰退と被支配を決定的にしたのがヨーロッパにおける産業革命と帝国主義の台頭だったと思います。仕上げに石油の採掘が決定打となりました。

 17世紀から本格的に始まったアジア、アフリカへの植民地政策は、元々資源を多く持たないヨーロッパが食料、鉱物資源(主に金、銀)を求めてのものでした。ギルドを母体に始まった資本主義は金融の近代化(金貸しから銀行、株式)に伴い巨大化し、資源の他に労働力、市場を求める動きとなり、更に植民地を広げる結果となります。そのための武力(特に海軍力)が増大して行くました。

 16世紀までのそれと明らかに違ったのは、それまでの戦争、侵略の原因が国同士の諍い、特定の支配者の野望、宗教的理由から来ていたのに比べ、資本の論理からなされていったことです。自国を豊かにするために、他国を踏み台にする。資源のある国からは資源を、労働力のある国からは労働力を、そして不当な価格での市場形成を目的に行われたことです。

 是は今までの支配より更に過酷な状態を植民地に押し付ける結果となりました。支配者の野望、宗教的侵略であれば、奪われるものは物質的物より精神的なものが多いのですが、資本の(勝手な)論理では、生活そのものが奪われる結果となります。

 さらに収奪はサイクル化し、より巨大に、厳しくなっていきます。アフリカなどでは労働力確保のため、一部族そっくり消滅する事態まで引き起こしました。

 こうした波の中にあって、当時のアラブ社会はまだほとんど緩やかな王制のままでした。周辺社会の急速な変化に関係なく、遊牧を中心とした生活でした。石油の利用が拡大し、有力な資源となりうることが明らかになると、欧米の石油会社が殺到します。19世紀以降、アラブは石油資本の支配下に置かれるのです。

 例によってだんだん本題から脱線していくので(是もインシャラー)そろそろ修正。

 中東は、一部、チグリス、ユーフラテスの川の周辺を覗き、ほとんどが砂漠、山地に覆われています。水資源も少なく、年間降雨量は最も少ない地域の一つです。

 生活環境は厳しく、一人が持ちすぎれば幾人かが死ななければならないという現実もありました。

 イスラム教はそういう環境のなかで、神への絶対的帰依を厳しい戒律によってアラブの生活、そこで暮らす人々の生命を支えたのです。食物の規制(贅沢なもの、周りに無いものを求めることは他に犠牲を強いることになる)、ラマダン(断食月)による資源の制約、酒などの嗜好品の禁止(砂漠での脱水の危険、また余計な争いを避ける)など、また日に幾度と無く繰り返される礼拝により教えを守ることを強調し、連帯感を高める。貸した金の金利を求めないなどは資本主義の否定にもつながりかねない戒律ですが不労所得を認めないことであり、利息は余分なものであるわけです。コーランか死か、はよく言われる言葉ですが、是とても欧米人の勝手な解釈で、そんなに偏狭ではなく、その教えを受け入れる人で無ければアラブ社会でともに生きていくことは出来なかったからです。

 インシャラーは、それでもどうしようも無くなったとき、全ては神のご意思なのだと受け入れ、納得していくことを意味します。決して絶望し、自暴自棄になるのではなく、神の望まれたこととしてその中で出来ることをするという、前向きであるのだと解釈したいのです。

ここからがエーちゃんの出番

中近東の国からの貿易コレポンでは「インシャラー」で始まってます。要は、「拝啓」見たいなモン。
それを知らないある新入社員が、これを代理店の担当者の名前と勘違いして、返事に"Dear Mr.Inchallah"と打電したとか。
これはエーちゃんの話ではありません。絶対に。そうだってば

英語でいえば「In the name of God」「神のおぼし召しのままに」
元々はアラビア語。イスラム教圏全般で使われておりイランのペルシア語圏でもこのまま使われています。

JASRAC情報

製作日誌:
平成15年8月31日 歌詞のみ
平成15年9月2日 MIDIをアップ
平成15年9月29日 歌い方の指南を変更