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母ちゃん炭坑を下りて行く

【作詞】松尾アイ子
【作曲】島恵子

三池災害 ひとすじに
三十三年生きてきた
山野 夕張り 有明と
やまの仲間と 手をつなぎ
必死の抵抗 つづけてきたが
 母ちゃん炭坑(やま)を下りて行く

のこり少ない人生を
夫と共に おだやかに
暮らすのぞみも やぶられて
安保、三池と闘った
やまの仲間も 去ってゆく
 母ちゃん炭坑(やま)を下りて行く

夫の生命 とったやつ
私の人生 くるわせた
人の命の尊さを
憎い三井に知らせたい
老いの体にむちうって
 母ちゃん炭坑(やま)を下りて行く


作詞の松尾アイ子については、三池の里をご参照ください。
1番の「山野」というのは、福岡県の筑豊地方にあった三井山野炭鉱のことです。詳しくは、この曲のリクエストをいただいた、異風者の通信のマエカワさんからコメント投稿をいただきましたのでご紹介しましょう。

 福岡県の筑豊地方には、大小数々の炭鉱がひしめいておりました。
 その中のひとつ、福岡県嘉穂郡稲築町宮地という所に、75年の歴史を持った三井山野炭鉱がありました。
 同炭鉱は昭和48年3月30日閉山されましたが、それまでの昭和40年6月1日、237名の死者と27名の一酸化炭素中毒者を出した山野炭鉱ガス爆発事故がありました。
 その2年前の昭和38年11月10日、三井鉱山は、福岡県大牟田市の三池炭鉱三川鉱で炭塵爆発事故を起こし、458名の死者と839名の一酸化炭素中毒者を出しているわけでありますが、先の山野炭鉱ガス爆発事故における一酸化炭素中毒者の数は、この三池炭鉱の事故と比較して極端に少なかったのがわかるかと思います。
 その理由は何故なのか? 数年後、朝日新聞がその理由についてスクープしました。
 三井鉱山は、三池炭鉱三川鉱炭塵爆発事故で発生させた一酸化炭素中毒者の数が余りにも多かったことによる反省(?)から、その2年後に起きた山野炭鉱ガス爆発事故においては救出活動を故意に遅らせた結果による、というものでした。
 事故の発生から相当の時間を経過して救出に向かう隊員の1人が、「三池の事故の時はすぐに救出活動に向かったのがいけなかった。今度の山野の事故は発生から時間が相当経過しているから、三池の時のようなガス患者は少なかろう」と軽口をたたいているのを被災者の家族のひとりが耳にしていたのです。
 要するに、中途半端な状態で被災者を救出するから、後々補償問題で会社も苦労するのであって、あっさりと死んでもらったほうが補償の交渉もやりやすいという意味だったのです。
 稲築町もまた、炭鉱で栄え炭鉱で泣かされた町だったのです。今も残る旧炭住街から見える慰霊碑の丘には、そういう悲しみが漂っているのであります。

 そういう過去の出来事を踏まえて、この「母ちゃん炭坑(やま)を下りて行く」の曲を聴くとき、その重々しいメロディが涙と怒りを誘う思いです。

http://hasiru.net/~maekawa/mine/yamano/yamano2.html

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製作日誌:
平成17年12月12日 歌詞のみ
平成17年12月17日 MIDIをアップ
平成17年12月21日 Maekawaさんからコメント投稿を掲載しました。