子供を守るうた
【作詞】上野 博子
【作曲】荒木 栄
子供達よ
健やかに育ちゆく
子供達よ
(女声)
「先生」と呼びかけて
今日も集まる54人のつぶらな瞳
私の愛する 子供達よ
(ソプラノ独唱)
どう教えたらよいのだろう
どう知らせたらよいのだろう
わたしの上に みんなの上に
覆い掛かる暗い影を
(女声合唱)
この影を この暗い影を
(ソプラノ独唱)
ねえ、みんな この中に一人でも
わけも分からず 怒鳴られたり 笑われたり
人を蹴落として
自分だけがいい子になろうとしたら
どんなに どんなに
悲しいことだろう
(男声合唱)
みくにの為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ
良心の呵責が弱さを支え
平和を守る心が 私を鍛えた
(女声合唱)
明るい太陽の その下で
すくすくと伸びる子供達よ
笑い顔 おこり顔 おどけた顔で
野の花のように 美しく育てよ育て
平和な未来を 築くために
(混声合唱)
国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ
私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな!
うたごえ大作集、第4弾は、かねてよりのお約束の「子供を守る歌」です。今月2002年11月に千葉県の教育研究集会のオープニングに歌われると言う話を聞いて、「この機会にやろう!」と奮起しました。
1957年に始まった教員への勤務評定反対闘争の中で、大牟田の中学校教員で大牟田センター合唱団の団員だった作詞者の詩に荒木栄が合唱団員と一緒に集団創作したものです。荒木栄の最初の集団創作曲といわれてます。
1957年といえば、エーちゃんはまだ小学校2年生。当時のアルバムをみても、そんな闘争のかけらも写ってません。しかし、勤評反対闘争は1970年代の後半まで続くのですが、そもそもの勤務評定というのは1950年に地方公務員法のなかで制定されてます。しかし、教員はその特殊な職業形態から勤務評定になじまない、と言うことで実際には適用されずにきてました。しかし、1956年に愛媛県が県財政の悪化のツケを教員に負担させるべく、勤務評定で賃金の差別化を図ろうとしてこの制度を悪用。その流れはあれよあれよという間に全国に波及してゆきました。
でもね、全国の先生方、「サラリーマンは気楽な稼業ときたモンだ!」と、どっかのアホがうたってましたが、トンでもない話です。エーちゃんもこの32年間のサラリーマン生活で、「気楽」と感じたことは全然ありません。まず30歳で主任になるための昇格試験(英語、簿記、貿易実務、一般常識)、副主事、主事、副参事、参事、参与と昇格のたびに面接。その準備のための論文書き、などなど。その他、サービス残業に無理な付き合い、果ては人脈だの何だのといったしがらみの世界。「サラリーマンを守るうた」でも作りたいです。
JASRAC情報はありません
製作日誌:平成14年11月5日 | 歌詞のみ |
平成14年11月6日 | 主旋律と間奏部分を作成。間奏部分はCDからの耳採譜ですので、チト雰囲気がちがうかな?あしからず |
平成14年11月7日 | 伴奏とメロディの音色(XG)を作成。後ちょっと。 |
平成14年11月8日 | XG Works Ver4.07を購入して、一気に仕上げました。 |