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村しぐれ

【作詞】浜田キミエ
【作曲】浦 晴子

《潮流は常に巡れど》
潮流は 常に巡れど
わが夫(つま)の帰る潮なし
オホーツクのうみ
オホーツクのうみ

《火の玉となりて》
火の玉と 火の玉と
火の玉となりて
耐えたる心地しぬ
いかに耐えんとすれど
せつなく

《すこやかに なごやかに》
すこやかに なごやかに
伸びよ わが子らよ
花のごとくに
笑みて 散り行け

《久方の便り》
久方のたより まさしくわが君は
ますら男の子となり給いける
(2回くりかえし)

《拾余年の夢は》
拾余年の夢は 儚し子ら
残し征きける君に
如何に答えむ

《守らなむ》
守らなむ 守らなむ
ただひたすらに ひたすらに
心に誓い なみだこみ上ぐ

《わが唄う軍歌は》
わが歌う軍歌は せめて戦場の
夫(つま)に思いを届けむとする

《米俵ころがしながら》
米俵ころがしながら 夫(つま)思う
流氷うずむる 千島の果てを

《うず高く告げたき事》
うず高く 告げた事
溜りいて
戦地の夫(つま)の 安否気遣う

《わが腕を振り切り》
わが腕を振り切り 征し夫(つま)なれど
われを 弱しと おもいおわすな

《戦いて戦い抜きて》
戦いて 戦い抜きて その日まで
貫き通し 君と逢わなむ

《身も君に続かむ》
われの身も 君につづかむ
幾万里隔てど 共にきみと たたかわむ

《きみ征きし後の守りを》
きみ征きし のちの守りを 受けつきて
身を砕くとも 子らを 子らをまもらん

《唄いつきし子等はいねたり》
うたいつきし子等はいわたり
われひとり 覚めてい泣きぬ
覚めてい泣きぬ
真暗き床に

《破れ靴を藁草履に変え》
破れ靴を 藁草履に変え
破れ靴を 藁草履に変え
汽車に乗りし 出征の夫(つま)
いとしみきれず
いとしみきれず

《戦場に花と散る身の》
戦場に花と散る身の
苦しみよ 苦しみよ
君は 征きます 妻子残して
戦場に 花と散る身の 苦しみよ

《わが夫もこの月見てぞ》
わが夫(つま)も この月見てぞおわすらむ
アーー この月見てぞ
すすきにかよう風の彼方に
すすきにかよう風の彼方に

《おし切れぬ事も》
押しきれぬ事も 両手(もろて)に受け止めて
つぶさに守る 夫(つま)の留守居を
夫の留守居を

《昇天し》
昇天し 早亡き長女 和子さえ
母はわが涙押さえんとする
押さえんとする

《大山(だいせん)忘れず》
みいくさに いで行く夫(つま)を送りいで
あまりに清き大山 わすれず

《庭石にもたれて》
庭石にもたれて ねたる汝(な)がすがた
庭石にもたれて ねたる汝がすがた
思えば 寒し 敗戦のころ

《身のまわり包む丈》
身の回りつつむ丈なるわが旅路
心ひとつが時には 重し

《祖先の恩を》
しみじみと祖先の恩を
祖先の恩を 思いつつ
子ら五人 連れ行く敗戦地獄

《苦労せし事もなつかし》
苦労せし事もなつかし
亡きつまと旅など 旅などしたることは
なけれど


「私が2歳の時、父は戦争へゆき、そのまま帰らず、母と5人の子供が残されます。
戦争が終わり兵隊さんが次々と帰ってきます。『お父さんも帰ってくる』と、兄たちは毎日バス停まで迎えに行ってました。
ある日、庭で姉と遊んでいると、近所のお兄さんが自転車で『お前んとこのお父さんは戦死だとや!』と言い通り過ぎてゆきました。
『戦死ってなんのこと?』と母に尋ねると、母は急に二階へ駆け上がり、一番奥の部屋にうずくまって泣き出しました。
『戦死って何?』
何度聞いても母は泣くばかりで答えてくれません。
母は34歳でした。」

「母は、大の男でも大変な配給業務や百姓をしながら、5人の子どもを必死に育ててくれました。
私は4kmほど離れた母の里に預けられ、時々兄たちが自転車で使いに来ると、『今日こそ連れて帰ってもらえる』と、いつも用意をしていた小さな風呂敷包みを持って待っていました。
兄たちが『さよなら』と言って帰って行くと、『ああ、今日も帰れなかった』と祖母たちに分からないように隠れて声を押さえて泣いたものです。」

「ところが、母も隠れて夜中に泣いていたとわかりました。
最近、その頃のことを書いた母の短歌を長兄が見つけたのです。
『われ一人覚めてい泣きぬ真暗き床に』
『火の玉となりて耐えたる心地しぬ 如何に耐えんとすれど切なく』
など毛筆で書かれた短歌が山ほどあるではありませんか。
長兄がその中から抜粋して歌集にしてくれました」

「『このままにしておくのはもったいない』と大阪PeaceCallの方から言われ、
『こんな短い短歌に?』
と思いながら、1首ずつ曲をつけ始めるうちに、
父が靴を脱いで藁草履に履き替えて汽車に乗って行く姿が目に浮かび、涙が止まらなくなりました。
母の苦しい切ない思い、子どもと生き抜かなければという思いに『お母さん、大変だったね』と声をかけながらの曲つくり。
気がつくと20曲。
まるで、父と母が私の体内に入っているような気がしました。」

「私はこの曲を『母の軍歌』と名付けました。
今97歳の母は、戦争は絶対にいけない!と生死を彷徨いながらも命がけのメッセージをしているように思えます。」

うたごえ新聞2008年3月10日の浦晴子さんのメッセージを抜粋転載しました。

JASRAC情報はありません

製作日誌:
平成21年1月13日 歌詞のみ
平成21年1月21日 破れ靴を藁草履に変え
わが夫もこの月見てぞ
戦場に花と散る身の
の3首の詩についている曲までMIDI化しました。
平成21年2月1日 歌詞を追加
平成21年2月5日 MIDIを追加
潮流は常に巡れど
火の玉となりて
すこやかになごやかに(フーガ風のオブリガートが入ってます)
久方の便り
平成21年2月6日 MIDIを追加
拾余年の夢は
守らなむ(十六部x4+四分x1でリズムが組み合わせになってます)
わが唄う軍歌は(スタッカートの四分x4x2小節が前奏です)
平成21年2月7日 MIDIを追加
米俵ころがしながら
うず高く告げたき事
戦いて戦い抜きて
われの身も君に続かむ
きみ征きし後の守りを
唄いつつ子等はいねたり
平成21年2月8日 のこりの6曲MIDIを追加
これで17分40秒の大作のMIDIの打ち込みが完了。
これからいろいろとお化粧直しです。
最後の詩は、グッときました。
平成21年12月31日 そもそもMIDIとしては完成をしており、あとはコメントの追記を考えていたのですけど、大阪のツテ経由の詳細収集がままならず。
とにかく、当サイトで「人間を返せ」の43分は別格として、17分超の大作です。
ごゆっくりとお聴きください。
平成22年2月7日 1月24日に浦さんに東京でお会いしました。
ちょっとだけのご挨拶だけでしたが、その時の約束した、コンサートのDVDと昨年8月25日にBS朝日で放映されたこの曲のドキュメンタリー「もうひとつの終戦記念日」~母から娘へ、歌に託す想い、の録画DVDを送っていただきました。

左上の母娘がキミエさんと晴子さんです。
そのキミエさんも、2008年5月に98歳で逝去されたそうです。
晴子さんは、お母さんの命のメッセージ「戦争の悲惨さ、悲しさ、苦しさ。これから絶対に戦争をしてはいけない!!」をピアノの弾き語りで訴えています。