さよならはダンスの後に
【作詞】横井 弘
【作曲】小川 寛興
【MIDI製作協力】マルちゃん
何も言わないで ちょうだい
黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい
ダンスの後に してね
ここはお馴染の クラブ
いつものように 踊りましょう
せめてキャンドルの 下で
泣くのだけは やめて・・・・
誰にも負けず深く 愛してた
燃えるその瞳も その手も
これっきりね
何も言わないで ちょうだい
黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい
ダンスの後に してね
少しカクテルを 頂戴
酔ったらまた 踊りましょう
だってさよならは つらい
ダンスの後に してね
いまは懐かしい クラブ
気のすむまで 踊りましょう
せめて恋人の ままで
やさしく肩を 抱いて・・・・
初めて聞いた 夜のささやきが
たとえ短い夢でも 忘れない
少しカクテルを 頂戴
酔ったらまた 踊りましょう
だってさよならは つらい
ダンスの後に してね
あなたがとても好きな この曲も
明日はどこかで 独りで 聞くだけね
何も言わないで 頂戴
黙ってただ 踊りましょう
だってさよならは つらい
ダンスの後に してね
昭和40年の倍賞千恵子のヒット曲です。
どっかの曲の蛇足に書きましたけど、エーちゃんが初めてダンスなるものを習ったのが中学2年生の時。昭和38年ごろです。
ダンス講習会がある、というので、中学生へのお誘いですからてっきりフォークダンスの講習会かと思って行きましたら、渋谷のダンス教室で、床がピカピカの木製のもの。中学生ですから皮靴なんかなくって運動靴。
で、最初がブルース。
もう、ドキドキしっぱなしでした。お相手さんは、20歳くらいのお姉さん、というか、中学生から見ればおばさんばっかり。
他に、チャチャチャ、ジルバなどを教わってきました。
おかげで、大学のダンバ、社会人になってからのナイトクラブなど、結構不自由はしませんでしたね。
でも、インドネシア時代に、ジルバをばっちりと決めているカップル(Indonesian華僑とお店の女の子ですけど)をみるとうらやましかったですね。定年になりましたら、ダンスでも改めて習おうかな。ウチの近所の酒屋さんの若旦那(といっても、エーちゃんより上ですけど)から、町内会でダンス講習会をやっているんで出ないかい、って誘われております。近くの老人センターですって。いくつになっても、「年上の女」ばっかりですな。トホホ。
製作日誌:
平成20年7月20日 | 歌詞のみ |
平成20年8月20日 | MIDIをアップ |