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タンポポ

【作詞】狩俣 繁久
【補詞】小森 香子
【作曲】大西 進

1.金網のむこうに小さな春を
  つくってるタンポポ
  金網のそとにも小さな春を
  つくってるタンポポ
  ひかりいろしたタンポポは
  金網があっても金網がなくても
  沖縄じゅうに春をふりまいたでしょう

2.デモ隊の足下にひかりの花を
  さかそうとタンポポ
  米兵にふまれてもそれでも花を
  さかそうとタンポポ
  強く生きぬくタンポポを
  金網のない平和な緑の沖縄に
  みんなのねがいをこめてさかせてやりたい


そこらじゅうに生えているタンポポ
何気なく見てましたけど、在来種と外来種があって、左側はbunbunさんやOndaさんと先日ご一緒した仙台城のバス停近くで撮ってきたもの。
「下の方にビロ~~ンってひげみたいに垂れ下がっているのが外来種ですよ」って教えてもらったんです。で、ウチの近所を見渡してみたらありました。右側の外来種が。西洋タンポポって言うヤツですね。

在来種には、関西タンポポ(頭花が平べったい)、関東タンポポ(頭花がもっこり型)、ほかにもエゾタンポポ(下ぶくれな感じ)などがあります。

花ことばは「いなかの神託」
「冠毛を一吹きしてきれいになくなれば恋が成就する」というタンポポによる花占いから来ています。  


 (在来種) 

 (外来種)

うたごえでは、このカタカナの「タンポポ」と、ひらかなの「たんぽぽ」があります。
辛い厳しい冬から春を待つ心境を歌った「たんぽぽ」に対して、「タンポポ」は基地沖縄という厳しい現実から緑 の平和な沖縄を待ち望む当時中学3年生だった狩俣繁久の日本人の気持ちを代弁したものです。

エーちゃんの新婚当時は、練馬区光が丘の公団住宅に住んでおりました。
もともと、米軍高級将校用の住宅地である広大なグラントハイツが日本に返還され、まず川越街道に近い北側に約1200戸の10階建て2DKの公団住宅が1973年4月に作られました。
エーちゃんちは、3号棟の西側9階。正面に富士山が見える抜群のところ。
目の前に、グラントハイツの広大な敷地が広がってましたが、まだ立ち入り禁止の金網の向こう側でした。
春になるとタンポポがいっぱい咲いてました。
「夏草や兵どもが夢の跡」という風情でした。

ところが、沖縄では、まだ「タンポポや、米兵どもが現実に」というところですね。

79年に茨城県茎崎町(現つくば市)に引越ししたため、その後はよく分かりませんでしたけど、光が丘は今では、大きな公園とそれを取り巻くマンションがびっしりと埋まってます。
こんな感じです。

JASRAC情報

製作日誌:
平成18年5月19日 歌詞のみ
平成18年5月21日 MIDIをアップ
平成18年5月27日 小刻みに刻んでいる伴奏は、Glockenspiel(鉄琴)とStringだったんですが、チャラチャラしすぎるので鉄琴をカットしました。