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あの   をたずねて
改装後の西武新宿駅前の「灯」
ミュージック専科2 より
現在の「灯ビル」
H15.6.14撮影

「灯」は、ジンギスカン料理屋をやっていたロシア人が、手持ちのロシア民謡などのレコードを店の中で流していたところ、お客さんが自然発生的に歌を歌いだした事から、1951年に「うたごえのみせ 灯」としてスタートしています。
その後、事業の拡張のため、1958年に、古い店を取り壊し、このビルを1959年に完成してます。60年安保のまさに前の年でした。

この工事の間、灯の従業員は、お客さんからのカンパを元手に、コマ劇場の裏で「ともしび」(同じ区内、同じ業種で同じ名前は登録できないので平かなにした)をつくり、うたごえの灯(ひ)をつないでゆきます。

この人たちは、新ビル完成後、「灯」に戻るつもりでいましたが、大きなステージを持つ新しい「灯」では、従来型の運営から、ライブハウス的なスターシステムを取り入れる事になり、二つの「灯」と「ともしび」が出来ることになりました。


ロッテリアの左側にビルの入り口がありました。
明行社は、当時から、出版物(歌集など)の管理をしてました。

余談ですが、現在の灯ビル8階のベトナム料理屋さんホイアン (TEL 03-3200-3745)、土曜日のランチは食べ放題1,200円。生春巻きを自分で巻いて食べるんですが、とっても美味しいです。他に、フォーやサトイモのカレー、デザートにはベトナムコーヒーが楽しめます。


【1956年開店当時の様子】
  1. 5坪の小さなロシア料理屋さんだった。店長 柴田伸さん。
  2. 隣は、弟の快さんの「女子大生クラブ」
  3. 2階は薄暗いダンスサロンのような店。やはり快さん経営

歌声喫茶「灯」の青春

この本を書いた丸山明日果さんのお母さんは、1956年に西武新宿駅前に出来た歌声喫茶「灯」の創立メンバーの水野里矢さん。本の帯の写真が22歳のときのものです。

娘の明日果さんが、自分の母親が一人の女性であったときの青春を尋ねまわるというストーリです。当時、社会現象にまでなったうたごえ喫茶誕生のいきさつなど貴重な記録としても大変面白く読ませていただきました。


さて...
エーちゃんが19歳の1968年頃、この「灯」でバイトをしておりましたが、当時のつたない記憶をたどっても、水野里矢さんらしい人が出てきません。

歌声喫茶「灯」の青春
著者 丸山明日果
出版 株式会社集英社 700円
2002年11月20日初版
社長さんは確かに柴田さんでしたが、ボクから見て、おじさんでしたね。とても学生上がりの青年実業家には見えませんでした。
営業部長もたしか柴田さん。やや若かったように記憶してます。
総務部長は野沢さん。結構なお年でした。一度、バイト明けにゴーゴー(トレビ)に行くんで、給料の前借をしたことがありました。
経理部長が、柴田快さん。
企画部長が伊藤レイ子さん。この下でバイトしてたんですが、企画部員は、ステキなお姉さまの内田美波さん「ナーちゃん」。やはりアルバイトで桑美の男性がいました。

受付
にいつもベレー帽をかぶったステキな女性がいました。この方が水野さんなのかなと思ったんですが、新ビルには行っていないんですね。

ステージでは、リーダーとして
左の写真は、当HPの初期にTOPページに使っていたもの。
出所は「ミュージック専科」です。

ここに写っている人たちは、70年代初期のリーダー達。

左二人目からから
  北野修治
  近藤 卓
  岡田みきえ
  高崎敬子
  阿部美智子
  市川貞夫
  山之口清彦
  甲斐正夫
山之口さんは、「帰って来たヨッパライ」のあの独特な声色が得意でした

一番左はピアノの斎藤惇さん。
元々は、労音などで、フルバンド演奏をしてましたが、柴田伸さんに見出されて、ともしびでベース、ドラムを加えたトリオを結成しました。

演出家さんがいるんですよ。ステージでは、うたごえタイムとショータイム(ともしびフェスティバル)がありました。このショータイムの台本を作っている演出家さんがいて、どちらかというとお笑い系の方でした。同じようなことを繰り返して3回も言わせる台詞を作っているんですね。「エーちゃん、この3回目で、ドッと笑いが来るよ」とおっしゃってました。確かに受けるんですね、これが。どういう理屈でこのように計算できるか、30年以上も経った今でもナゾです。

ボーイさんは高校生以上のアルバイトが主。時給100円。大入りのときは、100円入りの大入り袋が配られましたが、1年間のアルバイト期間中もらえたのは年末年始の数回。プロパーのボーイ長さんは、大柄のちょっと見ると強面。その下にちょっと小柄の次長さんがいて、「うたごえ」というより演歌系のお兄さんです。

調理場
は2~3人のコックさん?がいました。でも喫茶なんで、コーヒーが主体。たまにアイスソーダーも出ました。コーヒーは3階で業務用でスープなどを作るときに使われる大きな「寸胴鍋」で一気に作ってました。そのなべをステージ横の螺旋階段を下りて2階(客席のある)の調理室へはこびます。話によると、螺旋階段でつまづいて、そのなべがひっくり返って、下のお客さんにコーヒーを浴びせてしまったことがあるとか。調理室では、小さなパンで暖めなおして、コーヒー茶碗に入れてました。(独り言:そんなコーヒーがおいしいはずないけど、お客さんはコーヒーを飲みに来るんじゃないもんね)

歌集は、色々なデザインがありますが、これは昭和43年当時のもの。【H17.5.6追加】

「灯歌集」のほかに、ミュージック専科1.2.3(各200円)がありました。

            ClickableMapになってます。》

当時「灯」で力を入れていたのが、デュークエイセスの「日本の歌」シリーズシリーズ。歌声タイムでもよく歌われてました。
上条恒彦さんもよく来てました。「うたごえのジョー来る!」の看板を作ったこともあります。音響調整室で上条さんと話をしたこともありましたが、何を話したのか全然覚えてません。

がんばれ!丸山明日香さん


越善さんと青柳さん


このツーショットは、丸山明日香さんの「歌声喫茶『灯』の青春」の出版を記念したイベントでのもの。
H15.7.27 新宿にて


丸山さんは、この執筆を契機に、歌声喫茶の足取りをたどっておられるようです。
エーちゃんが平成15年8月に仙台のバラライカにお邪魔した時に、マスターから「先日、取材に来られましたよ」と伺ってます。
前列 左から

森のフクロウさん
丸山明日香さん
近藤卓さん

上記の昔のともしびの写真で白のT-シャツのロングヘアの青年が近藤さんです。


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製作日誌:
平成15年6月14日 Yoshikoさんと西武新宿前の現地を訪れ、その後、カチューシャの木村さんに取材。6/15にこのページを作成。
平成15年8月9日 「歌声喫茶『灯』の青春」のページと合体
平成15年9月18日 ミュージック専科の解説を追加
平成17年5月6日 灯歌集の解説を追加。Special Thanks to Ms.ISHIKAWA
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バックにNewVersionのともしびを作成しました。ビギン調です。
平成20年1月19日 灯の当時の舞台写真のリーダーたち、近藤さんの右側の女性の名前が分かりました。近藤さんから連絡をいただきました。