とり返そう我がインドネシア
HALO-HALO BANDUNG
【作詞】不明
【作曲】不明 インドネシア歌曲
【訳詞】不明
【MIDIデータ作成】Iwakichsky
1.輝く旗 かかげ前線へ
とり返そう我がインドネシア
※いざ起ていざ
友よ武器を手に
勝利の決意胸に深く
敵うちくだけ
2.輝く旗 かかげ前線へ
我が力で権力握れ
※(くりかえし)
HALO-HALO BANDUNG
halo-halo bandung
ibukota periangan
halo-halo bandung
kota kenang-kenangan
sudah lama beta
tidak berjumpa dengan kau
sekarang telah menjadi lautan api
mari bung rebut kembali
独立時の曲なのか、インドネシア共産党が非合法になったときに作られたのか何の曲か全く不明だったんですが、わかりました。これは、「Halo-Halo Bandung」と言う曲で、オランダがBandungに攻め入った時、作られた曲だそうです。(Iwakichsky)
さて、IwaちゃんがMIDIつくりに参考にした楽譜は1980年代のもの。これから彼の疑問を推理をすると
18世紀中ごろ | 1602年に設立されたオランダ東インド会社が設立され、インドネシアを分割統治させて行きます。中部ジャワのソロとジョクジャカルタなどに分裂国家が作られます。この当時、侵略に対する抵抗は、鉄砲で武装したオランダ兵に短剣で戦いを挑むと云う壮烈なものでした。 でも、当時、インドネシアという名前が確立されていたかというと、チト怪しいですね。 |
戦後 | 第二次世界大戦を契機に、インドネシアはオランダから解放されます(単に、日本に代わっただけ、と云う見方もありますが)。しかし、日本軍の一部の有志が現地の人々に協力して独立の手助けをしてます(単に、脱走しただけ、という見方もありますが)。でも。このような方々の中に、スラバヤ(ジャワ島の東。インドネシア第2の都市)の石井さんと云う方は、そんな旧軍人あがりで成功した人の一人です。当時、素足で歩きまわっていた人たちにサンダルを提供。事業として成功した方です。話はそれましたが、この時期、こういう人たちが、当時の歴史の中で活躍をしていたんですね。 この曲の旋律からみて、まだ、この時代でもなさそうですね。 |
スカルノ前後 | どうもよく分からない国です。失脚しながらも「建国の父」と崇め奉られているんですから。ナサコム(民族主義,宗教,共産主義を一体化した統一戦線)を提唱したスカルノも健康的に限界となり、実現を前に、1965年9月30日事件で、「経済の父」スハルトの時代へ移行して行きます。 しかし、これもいわゆる内政問題ですから、「とり返そう」の意味がでてきません。 (以下H15.6.27)と、思ったら、この曲の原曲は、ハロハロ・バンドンなんですね。ジャカルタから南東へ車で3時間のところにバンドンはあります。1955年ここで、アジアアフリカ会議が開催されています。日本,中国を含むアジア15ヵ国,中東8ヵ国,アフリカ6ヵ国,計29ヵ国の正式参加をえ,反帝国主義・反植民地主義を基調としてアジア・アフリカの連帯を強めるのに貢献した会議で、バンドン会議と言われてます。当時、世界で3番目に美しい都市といわれていたらしいです。ところがどっこい、今では、世界で3番目に汚い街といわれてますが...確か、このときに作られたのが、このハロハロ・バンドン。 |
スハルト時代 | 多分この時期なんでしょうね。共産党が非合法化されて、再度、表面に出てゆきたいけどできない辛さを訴えているんでしょうね。でも、武器を取れ!って云っても、農機具に毛のはえた程度。とっても勝負にならないのじゃないかな。 |
最近(対象外) | タイの通貨危機に端を発したアジア全体の経済危機では、インドネシアも例外ではなく、通貨ルピアがRp2,000/US$からRp10,000/US$と、5倍以上の下落をしました。この1998年当時に、スハルトからハビビに政権移譲がされてます。 根拠もない話ですが、インドネシアで大統領になるには、ジャワ人であること、イスラム教徒であること、そして名前が「S」で始まること、といわれていました。当時、スドモ、ストリスノなどのそれらしい候補がいましたが、いずれもサ行の名前。ストリスノは、陸軍軍人で、顔つきもエルビスプレスー並みのいい男でした。結局、ハ行のハビビという番狂わせでした。 この頃からではないかとおもいます。学生がいわゆる「学生運動」のようなものに目覚めて行ったのは。IMFの通貨管理により経済的に苦しめられる祖国を守るんだ、という意気込みが醸成されてきたわけです。それまでは、インドネシアの民衆による華僑襲撃などありましたが、その裏には理論的な位置づけが全然されてませんでした。 |
JASRAC情報はありません
製作日誌:平成15年3月12日 | 歌詞のみ |
平成15年3月16日 | MIDIデータとコメントをアップしました コメント修正(H15.6.8) |
平成15年6月27日 | 原曲ハロハロ・バンドンだったんですね |