わが祖国 アン・バヤン・コ
【作曲】ホセ・コラソン・デ・ヘスス
【訳詞】水牛楽団
【MIDIデータ作成】Iwakichsky
わが祖国フィリピンよ
黄金と花の国
やさしい人の心 美しく輝く
だが異国の船が この平和侵して
祖国を奴隷の 苦しみにつなぐ
かごの鳥も自由求めて羽ばたく
囚われの祖国も解放を求める
フィリピンよ 涙と悲しみの国よ
解放の日を待ち望む
祖国に生きるこのつらさよ
外国のため 奴隷にされて
苦しむ国よ 闘いに立て
東に自由の夜明けが来る
BAYAN KO
Freddie Aguilar
しばらくフィリピンに住んでいましたが聞いたことないですね。どこの国でも盛り上がっているとき以外はあまりこのような歌は聴くチャンスないですね。(Iwakichsky)
フィリッピンはスペイン統治で身も心もズタズタにされ、独立後は、アメリカの極東戦略基地となり苦労の多い国です。英語がかなり通じますが、タガログ語というNational Languageをもちます。マブハイMabuhayは、ご存知ですね。Phillippine AirLineの機内誌の名前? それはそうですが、日常のあいさつ言葉。お元気ですか?お元気で、と言った長寿を願うものから、幸せを希求する意味まで幅広く持ってます。
今の時代、みんなで大きな声で、MABUHAYと言い交わしたいですね。
エーちゃんが初めてフィリッピンに行ったのは1983年11月でした。当時の為替レートは、公定が16Peso=US$1に対して、闇レートが20Pesoでした。US$100を両替すると、400Pesoの不労所得がありました。これだけあると結構遊べたんですよ。当時30歳前半のエーちゃんは、これで味をしめて、出張費を浮かせる工夫を為替でやるようになりました。
せこいところでは、ホテルで小額を両替して、領収書をもらいます。普段使う分は、ちゃんとしたところで両替。会社での精算はホテルの領収書でやるんです。例えば、インドネシアでは、当時、Rp900/US$程度でしたが、ホテルでは、10%くらいルピア安なんですね。これで夜遊びの軍資金を稼いでました。
JASRAC情報はありません
製作日誌:平成15年2月16日 | IwakichskyクンからのMIDIデータの提供を受けました。先ずは歌詞のみ掲載します。(2/27) |
平成15年3月16日 | MIDIデータをアップしました |
平成15年7月25日 | 別訳と原詩をアップ |
平成18年7月22日 | 寺見元恵氏訳の別詞は出典元の間違いでフィリッピン国歌の英訳からの和訳ものでしたので、削除(REM化)しました。 |