ハチのムサシは死んだのさ

【作詞】内田良平
【作曲】平田隆夫

ハチのムサシは 死んだのさ
畑の日だまり 土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる 午後でした
ハチのムサシは 向こう見ず
真赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで 負けたのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは 死んだのさ
お日様仰いで 死んだのさ
高い青空 麦畑
いつもと変わらぬ 午後でした

ハチのムサシは 死んだのさ
夢を見ながら 死んだのさ
遠い昔の 恋の夢
ひとりぼっちで 死んだのさ
ハチのムサシは 向こう見ず
お日様めがけて剣を抜き
たたかいやぶれて 死んだのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは 死んだのさ
たしかにムサシは 死んだのさ
やがて日は落ち 夕暮れに
真赤な夕日が 燃えていた


平田隆夫とザ・セルスターズの1972年のヒット曲です。
二人の女性ボーカルが入っており、何だかとってもかわいいなと思っておりましたら、めがねの娘の方は中国人だったんですね。
その後、こういうツイン女声ボーカルは米米クラブなどに引き継がれてゆくのですけど、こういうスタイルもあこがれてました。

それはさておき、1970年6月23日に安保の自動延長を契機に学生運動(だけじゃないけど)が急速にしぼんでゆきます。
そういう状況を歌ったもの、という説がありますけど、ザ・セルスターズがそんな意味合いで歌ったとは思えず、単に牧歌的な曲だと思います。

しかし、こんな曲もあります。
「ハチのムサシは生きていた」
ハチのムサシはいきていた
みんなは死んだというけれど
負けてなるかと立ち上がり
再び目覚めた朝でした

ハチのムサシは二刀流
お日様めがけて抜いた剣
折れてもまだまだもう一本
つるぎがその手にあるからさ

ハチのムサシは生きていた
どっこいムサシは生きていた
誰も知らない 山の奥
キラキラまぶしい朝でした

ま、こんな曲を聴くと嬉しくなっちゃいますけどね。

ハチのムサシは山を下り
修行に修行をつんだのさ
ハチの一刺し みておれと
腕を磨いて耐えたのさ

ハチのムサシはチャレンジャー
どんなに傷つき倒れても
仲間を集めてもう一度
必ず勝つと決めたのさ

と続いて

ハチのムサシは生きていた
どっこいムサシは生きていた
羽根を広げて大空へ
「真っ赤な太陽、待ってろ」と

と締めくくってます。

2010年頃に新たにリリースされたものですけど、丁度、団塊の世代の働き蜂が定年を迎え、ムサシはどっこい生きていた、って、元歌とは別物ですが、ウエスタン風のメロディに乗せて、言わせたいんでしょうね。

ところで、東京タワーの近くに住むエーちゃんとしては、昨日開業したスカイツリーなんてくそくらえ、とこの曲をご紹介するわけではありませんので、念のため。

JASRAC情報
製作日誌:
平成24年5月2日 歌詞のみ
平成24年5月24日 MIDIをアップ
前奏はRockOrganでならしており、その後に、ブラス系で「チュチュチュチュ・・・」というん部分を演奏しています。
メロディはTrumpetです。
この「チュチュチュ・・」の部分がわかりにくいでの、前奏と間奏でご注意ください。
ところで、マイドのお手軽伴奏ツールですが、HardRockというパターンを使っております。
実は今月リリースしました「それが大事」も同じパターンを使っております。
なんだか、発想が貧困ですいません。
平成24年5月25日 オブリガートを手直ししました。