ポーリュシカ・ポーレ
POLJUSHKO POLE

【 作曲者名 】クニツペル KNIPPER LEV KONSTANTINO 
【 作詞者名 】グーセフ GOUSSEV V 
【 訳詞者名 】井上頼豊

この曲の歌詞は、「インタラクティブ配信で外国作品を可視的利用する場合の許諾条件」に合致しないため、掲載が出来ません。

2000年6月16日に「東風」さんからのリクエスト。大変遅くなりましたがUPしました。
1917年の革命の後の4年間に渡る国内戦で活躍した革命騎兵隊と村の娘たちをテーマにしたもの。
日露戦争で秋山好古を満州で悩ませたコサック騎馬隊あたりの末裔たち(というほど時間的経過がないけど)が大草原を駆け巡っている情景が目に浮かびます。
歌詞7番のヴォロシーロフはKliment Efremovich Voroshilovという旧ソ連の軍人さん。この歌の時代ではウクライナ地方を中心に戦っていたらしいです。
革命軍事会議議長兼陸海軍人民委員(1925‐34),国防人民委員(1934‐40)を経て,40年に副首相兼国家防衛委員会議長という大変な経歴。1935年にはソ連最初の元帥の称号をもらっちゃって、第2次大戦中は北西方面軍総司令官,レニングラード防衛もやるというつわもの。戦後は副首相(1946‐53),最高会議幹部会議長(1953‐60)、とテーしたもんでぇ。
ところで、この人の経歴と時代的背景から言って、同じ7番の歌詞「空に海に...」の「空」の部分は???。ライト兄弟の話は1903年。1914年からの第一次世界大戦には飛行機が軍事目的に使われていたわけだから、国内戦でも「空」は有ったかもしれないけど、本当かな、井上さん?

この点について、共産趣味者TAMO2さんからお便りをいただいております(2000.7.23)

ポーリュシカ・ポーレは革命歌の持つ力強さが良く表現され、秀逸な出来と思います。曲調も、赤軍合唱団のそれによく一致していると思います。
さて、歌詞の「空に海に」というのは、当時の赤軍の気分(願望)を唄いこんだのではないでしょうか。
「トロツキー」(人類の知的財産 67 菊地昌典 講談社)に次の文章があります。
布施勝治の会見記
(中略)
私の二度目のトロツキー訪問は、一九二〇年の春、彼が赤色陸海軍相として、内は反革命軍を相手に、血みどろの戰闘を續けながら、外はポーランドに對して、ひそかに開戰の準備を急いで居た時のことである。彼をその事務室に訪ねると、その背後の壁に、一枚の新しいポスターがかけてある。ポスターの標語を積むと、“コンミユニストよ、馬に乘れ!”とある。そこで私は“貴下は騎兵をもって赤軍の中堅とする考へか”と先づ質問の一矢を放った。ところが意外にも、トロツキーは頭を横に振り乍ら“否な、今日はもう、飛行機と戦車の時代である。余の
理想を率直にいふならば“コンミユニストよ、飛行機に乘れ、戰車に乘れ!”と云ひ度いのである。しかし何しろ大戦と革命で、根柢から崩潰してしまった國内の工業では、飛行機と戰車を製造することが出來ない。やむなく騎兵に重點をおいて“馬に乘れ!”との標語をかゝげてゐるのである”とまことに興味深い答辯を與へた。流石はトロツキーである。あの當時、もう已に、“飛行機と戰車の時代”を喝破したのである」。

JASRAC情報

製作日誌:
平成12年7月9日 MIDIデータ初版を作成
平成14年5月27日 MIDIデータをGM系に変更
平成14年9月1日 「東風」サンからいただいたリクエストの日付を訂正(2000年6月16日)
平成17年1月30日 秋山兄弟のリンクが切れてましたので差し替え