ウシュクダラ

【作詞】トルコ民謡
【作曲】トルコ民謡

Uskudara giderken, aldida bir yagmur
Uskudara giderken, aldida bir yagmur
Katibimin setresi uzun etegi camur
Katibimin setresi uzun etegi camur
Katip uykudan uyanmis gozleri manmur
Katibim uykudan uyanmis gozleri manmur
Katip benim ben katibin el ne karsir
Katibime kolalida gomiek ne guzei yarasir

(せりふ)
みなさん、"トルコ帽"をごぞんじでしょう
ウスクダラはそのトルコの西のはずれにある
古い小さな城下町です。

Uskudara gideriken, bir mendil buldum
Uskudara gideriken, bir mendil buldum
Mendilimin icine de lokum doldurdum
Mendilimin icine de lokum doldurdum

(せりふ)
昔この町の女たちは
みんな利口で美人ぞろいでしたから
男たちは女たちの秘書になって
小さくなってました
ある雨の日
噂を聞いて はるばるこの町を訪れた
男たちの一行がありました。

ウスクダラ はるばる 尋ねてみたら
世にも不思議な 噂の通り
町を歩いて 驚いた
これでは男が かわいそう

町中の女を 自慢の腕で
恋のとりこに してみせようと
粋ななりして 出かけてみたが
とりこになったのは 男だったとさ!?
とりこになったのは 男だったとさ!?


江利チエミが「ウスクダラ」として日本でもヒットさせましたが、元々はトルコ民謡。それが1952年にアメリカのミュージカルショーでアーサー・キットが歌って世に知られるようになりました。

歌詞は、江波戸昭の「世界民謡めぐり」の楽譜から採りましたけど、字が小さくて拡大鏡で見ているのですが一部不鮮明で判別できないところもありました。
また、トルコ文字独特の記号は省略してアルファベット表記にしております。

【本多賀文訳】
ウシュクダラに行ったときは雨だった
キャーティップ(Katip)の着物の裾が長く
はねあがっていた
キャーティップは起きたばかりなのか
目はぼんやりとしていた
キャーティップは私のもの
私はキャーティップのもの
腕を組めるのはわたしだけ

ウシュクダラに行った時
一枚のハンカチをみつけて
その中にロクム菓子を包んだ
キャーティップを探していたら
すぐ横にたっていた
キャーティップは私のもの
私はキャーティップのもの
腕を組めるのはわたしだけ

キャーティップ(Katip)というのが、この曲の原題で、意味は、本来「お代官様」ですが、転じて「私の愛する彼氏」ということ。
ウシュクダラがまだアジア側の寒村だったころ、ヨーロッパ側のイスタンブールに出稼ぎに行っていた恋人が帰って来た喜びを歌ったものです。

江利チエミの歌詞で「せりふ」の部分で、「トルコの西のはずれ」とありますが、アジア側の西のはずれですね。

JASRAC情報
製作日誌:
平成20年2月9日 歌詞のみ
平成20年2月10日 MIDIをアップ。
10年以上まえにトルコに行った時に購入したテープを元にMIDIにしました。
主旋律が、インドのSitar。トルコの人から見ると、なんで、Sitarなんじゃい、って言われそう。でも、極東からみていると、あの辺はどうも、同じようなイメージ。あちらから見て、中国・韓国・日本の差がわからんのと同じでしょうか。
平成20年2月14日 図書館からCDを借りてきましたので、日本語歌詞を掲載。
当時、江利チエミも最初の部分は原語で頑張っていたんですね。
歌詞とメロディが合っておりませんが、あしからず。