炭坑のおかみさん

【作詞】松尾アイ子
【作曲】オオギミネコ

すみで栄えたこの町で
夫を殺され唯一人
炭坑(やま)の社宅でくらしてる
夫の命をうばったやつに
幸せかえせと叫んでる

老後の幸せ遠く消え
仕事求めて 子も去った
夜は淋しくくらしてる
夫の命をうばったやつに
父ちゃんかえせと叫んでる

三池の闘いまだ続く
広い空き地は草ぼうぼう
炭坑(やま)の男の叫び声
無念の怒りがきこえてくるよ
どっこい母ちゃん生きている
どっこい母ちゃん生きている


作詞の松尾アイ子については、こちらをご参照ください。
作曲のオオギミネコについては、こちらで紹介しておりますが、1977年に大牟田市の大手ゼネコンの下請けの日雇い労働者20人を組織して地元での全日自労合唱団を立ち上げます。元請会社にばれると仕事からはずされるのではないかと、ペンネームを使った活動をしてました。

この中で、数々の創作曲が生み出されます。
当サイトでも数曲をご紹介しておりますが、この曲も一つです。
「広い空き地は草ぼうぼう」ってこんなでした。
旦那さんを労働災害で失った残された家族の生活ってさぞや辛いものだったのだと思います。

閉山反対をさけぼうよ」で述べておりますが、1961年から1971年の10年間で、炭鉱数は半減、生産量も33%の低下をしてます。
こういう石炭産業の崩壊の中で、石炭企業は熾烈な合理化と機械化で乗り切ろうとします。

年度 炭坑数 産出量 労働者数 月間生産性
1940 5,632万トン 324,000 14.5トン
1961 574 5,541万トン 198,000 21.7トン
1965 222 5,011万トン 110,000 38.1トン
1970 74 3.833万トン 48,000 61.0トン
1975 35 1,860万トン 22,000 67.8トン
1985 31 1,645万トン 14,000 87.8トン
1995 16 632万トン 3,000 193.0トン

しかし、その結果は、
1963年三池炭鉱炭塵爆発(死者458人)
1965年夕張炭鉱ガス爆発(死者61人)・山野炭鉱ガス爆発(死者237人)
という大事故の誘発につながったわけです。

このような事故で夫を失った家庭では、奥さんが子どもの養育と自らの生計のために働きにでます。
その失対事業事業すら打ち切り=10万人の首切りという非情の嵐の中に放りだされてしまうのです。

話を全日自労に戻して、かかる時期に全日自労も転換期を迎えます。しかし、その合唱団活動は益々重要性を帯びてきて、1978年のうたごえ運動30周年記念のうたごえ祭典では、全日自労30年のたたかいを描いた大構成詩「流れは大きな河に」が演奏されました。


1978年12月3日の日本のうたごえ祭典(東京・浅草国際劇場)で。
オレンジのスカーフを首に巻いた全日自労70人による「青春」。

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製作日誌:
平成17年12月14日 歌詞のみ
平成18年1月2日 MIDIを制作