歌をうたえば
【作詞】ささいはるみ
【作曲】神野和博
1.歌をうたえば 心がはずみ
忘れていた世界に まためぐり逢える
歌をうたえば 夢もわきたつ
オレンジ色の陽だまり 溢れてた日々
どうしようもなく 満たされぬ想い
時はいつでも めまいしそうに
ただ流れて行く
2.歌をうたえば 心がはずみ
忘れていた世界に まためぐり逢える
私が一番 輝いたとき
それは遠い昔に 確かにあった
心の痛みを 風の歌にして
人や自分を 責めないで
夢をわかそう
3.ラララララララララ
ラララララララララ
ラララララ (あなたに再び)
ラララララ (めぐり逢えたから)
ラララララ (明日)
ラララララ (信じて)
神野さんが1995年5月に第2回目のコンサートを門倉さとしさんと一緒に開催された時の「あいさつ」文です。
会社の仕事に遮二無二打ち込み、忙しければ忙しいほど充実感のようなものを感じて、その充実感は錯覚に過ぎないと思いながらも抜け出すことが出来ず、身体の疲れはどうしようもなく休みの日にはその疲れを癒すために。何をするでもなくゴロゴロと無為に時間を過ごして行く、そんな同じ事の繰り返しを続けてきました。すべて自分中心の勝手気ままな生活の中で、まわりの人達への思いやりも、ささやかだけど本当に大切なものがわかり心を向けられる余裕も優しさも、そういう暖かさもなく、沸き立つような夢も、仕事以外の何かに打ち込む気力も、そういったものをすべて忘れていた日々。
門倉さんの詩には、風の歌に、花の語らいに心を動かされるやさしい心を持ち、人の心の痛みを自分の痛みに出来る温かい心を持った人、華やかさはないかもしれないけれどひたむきに、いっしょうけんめい生きている人、そういう人達が描かれています。自分の忘れていた世界がそこにはあります。
遠い昔の学生時代、自分の中に色々な問題を抱えながらも、歌を歌いたくて夢中になって打ち込んだサークル。そこには歌が溢れていて、歌を通じての仲間がいて、なんでも吸収しようと強い意志があった。自分の一番充実していた期間であった。自分の忘れていた世界、それは遠い昔確かにあった。
この想いを歌として伝えられないかと、まずメロディができて、ささいはるみさんが日頃から使いたい言葉として書き留めていたものをうまく使って詩としてまとめたのがこの曲の経緯とのことです。
このエーちゃん自身も、71年に社会に出てから、脇目もふらずに世界中を飛び回っていた20代~40代。フッと気がついたら50代が目前。その時に、Internet、うたごえ、MIDIの三大噺しよろしく始めたのが、当ウェブサイト。
この曲には、1年半前に出会っているのですが、何となく聴き流してました。今回、改めてMIDI化するにあたり、歌詞をじっくりと読み直してみたところ、なんかジ~~ンと来るものがあり共感する所、非常に非常に大きいものがありました。神野さん、ささいさん、素晴らしい歌をありがとう
JASRAC情報はありません
製作日誌:平成16年10月13日 | 歌詞とMIDI。ちょっと早いかな |
平成16年10月14日 | 神野さんにこの曲の生まれた経緯をお伺いしました。 |
平成16年10月16日 | テンポを100→96に |