死んだ女の子

【作曲】木下航二
【作詞】ナーズム・ヒクメット
【訳詞】飯塚 広

扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの

十年前の夏の朝 私は広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへ飛び散った

あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない

扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい



ナーズム・ヒクメット
生誕100年記念
詩と歌の夕べが
開催されました

アメリカは1954年3月1日にビキニ環礁で水爆実験を行いました。
水爆実験に反対して5月「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成され、水爆禁止署名運動が杉並区から始まります。この運動は各地に拡がり、8月には「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、原水爆禁止署名運動として全国へ波及してゆきます。
その時にこの曲ができたといわれてます。

しかし、時系列的にみると、かなりギリギリだったんではないかと思います。
この時期を遡りますと、
1955.11 署名運動による最終署名数は32,590,907名
1955.8.6 広島で第一回原水爆禁止世界大会が開催される
原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足
1954.8.8 原水爆禁止署名運動全国協議会が結成される
1954.8.4 「原爆を許すまじ」が発表される
1954.5.9 水爆禁止署名運動杉並協議会が結成される
いつこの曲が作られたのか、というと
1955年4月にスタートしたうたごえ新聞では「原爆を許すまじ」が中心です。
1956年2月に曲の紹介をしてますので、この間に出来上がったものでしょう。
詩集として紹介されたのが1958年。国文社より『詩集 死んだ少女(ナジム ヒクメット著)』(峯俊夫訳)が出てますが、飯塚宏訳のこの曲に触発された、という感じがします。

元ちとせが坂本竜一版を歌ってましたね。2005年7月でしたね。
http://blogs.yahoo.co.jp/ngkmj468/50422930.html

JASRAC情報

製作日誌:
平成11年7月31日 音楽センター 平和歌集(第15回原水禁世界大会記念版)を参考としてMIDIデータ作成
平成14年11月17日 日本トルコ民間交流協会からの頂いたご案内「ナーズム・ヒクメット100年記念詩と歌の夕べ開催の呼びかけ」の情報を追加
平成19年8月19日 ナーズム・ヒクメット生誕100年記念詩と歌の夕べのリンク先での文字化けが多々ありましたので修正。
作者の名前「ナーズム」が「ナームズ」になってました。
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