歌声喫茶「灯」の青春


歌声喫茶「灯」の青春
著者 丸山明日果
出版 株式会社集英社        700円
2002年11月20日初版

この本を書いた丸山明日果さんのお母さんは、1956年に西武新宿駅前に出来た歌声喫茶「灯」の創立メンバーの水野里矢さん。本の帯の写真が22歳のときのものです。

娘の明日果さんが、自分の母親が一人の女性であったときの青春を尋ねまわるというストーリです。当時、社会現象にまでなったうたごえ喫茶誕生のいきさつなど貴重な記録としても大変面白く読ませていただきました。


さて...
エーちゃんが19歳の1968年頃、この「灯」でバイトをしておりましたが、当時のつたない記憶をたどっても、水野里矢さんらしい人が出てきません。

社長さんは確かに柴田さんでしたが、ボクから見て、おじさんでしたね。とても学生上がりの青年実業家には見えませんでした。
営業部長もたしか柴田さん。やや若かったように記憶してます。
企画部長が伊藤レイ子さん。この下でバイトしてたんですが、企画部員は、ステキなお姉さまの内田美波さん「ナーちゃん」。やはりアルバイトで桑美の男性がいました。
受付にいつもベレー帽をかぶったステキな女性がいました。この方が水野さんなのかな?
ステージでは、リーダーとして
小太りのおじさん(写真中央、多分越善さん、通称エッちゃんと思います)
スラットしたおにいさん(その右ので「帰ってきたヨッパライ」のあの独特な声のモノマネが逸品でした)
ちょっと小柄なお姉さんもいました。
演出家さんがいるんですよ。ステージでは、うたごえタイムとショータイム(ともしびフェスティバル)がありました。このショータイムの台本を作っている演出家さんがいて、どちらかというとお笑い系の方でした。同じようなことを繰り返して3回も言わせる台詞を作っているんですね。「エーちゃん、この3回目で、ドッと笑いが来るよ」とおっしゃってました。確かに受けるんですね、これが。どういう理屈でこのように計算できるか、30年以上も経った今でもナゾです。
伴奏は、アコーディオンだけの時と、ピアノ・ドラム・ベースのバンドのときがあります。
ボーイさんは高校生以上のアルバイトが主。時給100円。大入りのときは、100円入りの大入り袋が配られましたが、1年間のアルバイト期間中もらえたのは年末年始の数回。プロパーのボーイ長さんは、大柄のちょっと見ると強面。その下にちょっと小柄の次長さんがいて、「うたごえ」というより演歌系のお兄さんです。
調理場は2~3人のコックさん?がいました。でも喫茶なんで、コーヒーが主体。たまにアイスソーダーも出ました。コーヒーは3階で業務用でスープなどを作るときに使われる大きな「寸胴鍋」で一気に作ってました。そのなべをステージ横の螺旋階段を下りて2階(客席のある)の調理室へはこびます。話によると、螺旋階段でつまづいて、そのなべがひっくり返って、下のお客さんにコーヒーを浴びせてしまったことがあるとか。調理室では、小さなパンで暖めなおして、コーヒー茶碗に入れてました。(独り言:そんなコーヒーがおいしいはずないけど、お客さんはコーヒーを飲みに来るんじゃないもんね)
歌集は、「灯歌集」のほかに、ミュージック専科1.2.3(各200円)がありました。

当時「灯」で力を入れていたのが、デュークエイセスの「日本の歌」シリーズシリーズ。歌声タイムでもよく歌われてました。
上条恒彦さんもよく来てました。「うたごえのジョー来る!」の看板を作ったこともあります。音響調整室で上条さんと話をしたこともありましたが、何を話したのか全然覚えてません。

製作日誌:
平成14年12月30日 クロネコやまとのブックサービスで注文。年が明けた1月9日に配達されました。
平成15年1月19日 本ページを作成。作成意図としては、そもそも「うたごえ運動」ってなんだろう、とカンボジアのYoshikoさんに問われたのがきっかけです。
平成15年10月26日 「うたごえ運動」については、こちらに引っ越しました