白い勲章
【作詞】宅島 徳光
【補作詞】美空ひばり
【作曲】船村 徹
俺の言葉に 泣いた奴が一人
俺を 恨んでいる奴がひとり
それでも本当に 俺を忘れないで
いてくれる奴がひとり
おれが死んだら くちなしの花を
飾ってくれる 奴が一人
みんな併せて たったの一人
祭り囃子が 聞こえる部屋に
わたしひとりで 座っています
それでも 本当に 俺を忘れないで
いてくれる奴が一人
あなたの言葉 ひとつひとつが胸に
いまも 聞えて 離れないの
二人 合わせて たったのひとり
みんな合わせて たったのひとり
「美空ひばり 平和をうたう」という小笠原和彦著(時潮社)は、「一本の鉛筆」について記述した本ですが、その中で、「美空ひばりは3曲の反戦歌を歌っている」として、この曲と「八月五日の夜だった」をあげてます。
宅島徳光は海軍飛行予備中尉で、遺稿集「くちなしの花」で、その中に恋人を思って綴った詩がこの曲の元になってます。
宅島中尉は訓練中の事故死だったらしいですが、24歳の若き命を大空に散らした若きパイロットの男としての強さと優しさがにじみ出てます。
美空ひばりが平和の歌を歌うのはよほどびっくりだったんでしょうね。
「一本の鉛筆」は昭和63年の第1回広島平和音楽祭で歌われたのですが、その音楽祭の実行委員長が古賀政男で、委員として、演出構成をした映画監督の松山善三が担当しまが、その松山が詩を書いて、古賀が作曲する手はずだったらしいです。ところが、音楽会の直前に古賀が脳梗塞で倒れて急遽、松山とコンビを組んでいた佐藤勝が曲つくりをしたということです。
はっきり言って、「一本の鉛筆」はうたごえ喫茶のような形で歌うのがいいのか、ちょっと疑問に思ってました。曲が非常に歌いにくいし、モロにひばり節が出ているためです。
それより、この「白い勲章」や「八月五日の夜だった」の方が、うたごえ喫茶的には歌いやすいと思うのですが。
製作日誌:
平成18年7月4日 | CD美空ひばり大全集30集から耳コピーで歌詞採り。 |
平成18年7月12日 | これも耳コピーのMIDIつくりでした。 原曲のキーを7度上げております。CDではFmですが、Cmにしております。 |
平成18年7月15日 | 楽譜を作りました |