前線にも春が来た
【作詞】A.ファチャーノフ
【作曲】V.ソロヴェフ・セドイ
【訳詞】東大音感合唱団
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky
※春をうたう うぐいすよ
勇士らの夢やぶるな 夢をやぶるな
1.来たよ春が来た 前線にも春が来た
だけど勇士らは 眠らず聞き入る
戦いを忘れ うたううぐいすに
※(くりかえし)
2.うぐいすは春を ひとり歌ってる
勇士たちは今 なつかしい声に
遠いふるさとを 眠らずに想う
※(くりかえし)
3.やすむ勇士らよ 明日も戦いへ
愛する妻のこし 遠くはなれても
勝利はまぢかに 帰る日も近い
春をうたう うぐいすよ
勇士らの夢やぶるな
春をうたう うぐいすよ
勇士らの夢やぶるな
1944年の作品。独ソ戦の中の曲の中で『道(ノヴィコフ)』と共に最高傑作とされているそうです。(Iwakichsky)
戦争をやっているときの音楽業界は、普通、戦意を鼓舞するような軍歌一色になりますね。まして敵性文化の徹底排除ということで、日本では横文字禁止はご存知のとおり。
ところが、独ソ戦のさなか、1941年10月、ドイツ軍による首都モスクワの包囲による祖国の危機に際してモスクワ放送でベートーベンの「運命」を流し、その危機を伝えます。敵の音楽として捉えるより普遍的なものとして使ったのでしょうね。(まさか、後になって、担当者が当局からこっぴどく叱られた、なんてことはないでしょう)
こういうお国柄ですから、戦時中も歌曲の創作が停滞することなく発展してゆきます。
どう発展したのかと云うと、日本なら戦意を鼓舞するだけですが、かの国では、戦争と云う局面でそりゃ暗~~く沈みがちの国民の心を励まし、和らげるためにユーモラスな歌、愛の歌なども多数つくられていることからもうかがえます。
典型的な例が「ともしび」かな。
この「前線にも春が来た」も、(この訳詞が原詩に忠実という前提ですが)戦争中にこんなのんびりした、おいおい本当に戦争やってんのかよ、って思わせてしまいます。
もちろん、戦争なんかしないに越したことがなく、「前線」ではなく「野に山に」、「勇士」じゃなくて「若者」・・・という歌詞の歌が良いに決まってますけど。
「リンゴの唄」(♪赤いリンゴにくちびる寄せて~)は実は昭和20年、戦争中にサトーハチローが「明るい軍歌がないと負ける」という意気込みで作った軍歌なんですね。まあ、案の定というか、軍部の検閲に引っかかって日の目は見れず。逆に戦後の復興第一号映画のテーマソングに。GHQの検閲にはパスという、運命が180度展開した曲もあるんですね。
JASRAC情報はみあたりません
製作日誌:平成17年10月16日 | 歌詞のみ |
平成17年10月22日 | MIDIをアップ |