チューリップのアップリケ

【作詞】大谷あや子・岡林信康
【作曲】岡林信康
【MIDI作成協力】マルちゃん

うちがなんぼ早よ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん 何処へ行ってしもたのん
うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いにきてくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん 怒らはらへんで
早よう持って来てか
スカートがほしいさかいに

チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし

うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやでお母ちゃん 家を出て行かはった
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや
お母ちゃん ちっとも悪うない

チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし


岡林信康については、「夢淡き東京」のところでちょっとだけ書きましたけど、東京・日本橋の「御歌囃子」という居酒屋に行ったときに、岡林信康のサイン入りの本「バンザイなこっちゃ」というエッセイ集を買ってきました。
それによりますと、
1946年生まれ(と言うことは、今年は61歳なんですね)
同志社大学の神学部に進学(ン?しゃれ)
ところが、1966年の夏に山谷のドヤ体験でカルチャーショック
翌年、高石友也のフォークに感銘を受けるも
「牧師の息子」が「神様」になってしまったことに違和感を感じて
ロック(ハッピーエンド)に転向(?とは書いてませんでしたけど)
しかし、観客の反発にあって、気がついたら田園風景の中にいた・・・・
ということらしいです。

この曲についても、こんなエピソードがかかれてます。
カルチャーショックで大学をドロップアウトした頃、知的障害をもつ子供たちのための養護学級でボランティアをしていたのですが、そこの先生からみせられた生徒の作文に
・「チューリップのアップリケついたスカートもってきて」
・「おじいちゃんが死んださかいに誰もおかあちゃんを怒らはらへんで」
・「うち、やっぱりお母ちゃんに買うてほしい」
この3つフレーズが頭にのこり、
また、別の人に、「感激した詩」としてその一部「うちがなんぼはよ、起きてもお父ちゃんはも靴トントンたたいてはる」という書き出しの作文を紹介してもらい、これらを総合して、岡林の創作も加えてこの曲ができたとの事。

一方、当時は、PPMキングストントリオなどをコピーするカレッジフォークが清潔な感じでかつ英語で歌われていることに対抗して、演歌調のメロディにモロ関西弁のわらべ歌風に、およそフォークとに似つかわしくないスタイルに仕上げたとの事です。
ところが、カエルの子はカエル。
この曲は日本のわらべ歌の曲想ではなく、グレゴリアン・チャント系ということで、讃美歌や西欧音楽のルーツを本人の知らぬうちに持っていた、ということになるわけでありました。

JASRAC情報

製作日誌:
平成19年5月20日 歌詞のみ
平成19年6月11日 MIDIをアップ。
MP3と聴き比べていただけるとお分かりいただけると思いますが、メロディは尺八です。ギターのアルペジオではハンマリングをやってますけど、GS系のMIDIではちょっと解りづらいでしょうね。
平成19年6月13日 半音のハンマリングをシュミレートしてましたが、1音にしました。これで、少しは・・・どう?
平成19年6月16日 高いほうの音と低い方の音があって、高いほうだけを半音に戻しました。