平成16年9月4日
東京・新大久保 東京労音 R'sアートコート

バックは、ロシア歌曲「愛のメロディ
上記の写真は、その愛のメロディを歌う、音楽歌舞団カチューシャの杉本憲一さんご夫妻です。



労働者トランペッター松平さんの「もみの木変奏曲~赤旗」の演奏でオープニング
2004年4月16日 敬愛病院で死去 73歳でした。

矢沢さんの人生は、うたごえを中心とした音楽文化活動にその情熱を注ぎ込んだ壮絶なものでした。

「陽気に生きようこの人生をさ」の作者 宮沢勝之さん自らの「陽気に~」
ちょっと見にくいですが、著者は「矢沢保」です。
本名が矢沢保。
エーちゃんがこのサイトを始めたときの参考書がこの本です。

81年ごろの著作から「矢沢寛」のペンネームを使ってます。

ですから、昔からの友人には「たもつちゃん」の方が通りが良かったようです。
すずききよしさんはじめ多くの方の追悼の言葉で「たもつちゃん」と呼びかけておられました。

当日の司会はともしびの中西さん(左)と行貝さん
 
おなじみの飯塚書店の「緑の歌集」
青春時代にお世話になった方も多いでしょうね。
書名の由来は奥さんの「美登里」から

音楽評論家の長田暁ニさんの「軍歌再評価論」は印象的でした。
【矢沢保さんの略歴】
(当日配布された資料から抜粋)
1930年7月 東京文京区で生まれる
1948年 早稲田大学政経学部入学。すぐ中退。
「黒い瞳の」を訳詞
1951年9月 千代田合唱団に入る
1953年 東京労音設立
1954年 飯塚書店勤務
美登里夫人と結婚
1963年1月 音楽歌舞団カチューシャに入団
1969年 フォークに傾倒。
すずききよしさんと出会う
1981年 矢沢寛・見どりと改名
1985年 ピート・シガーとの交流を深める
「ハドソンリバーツアー」を企画
1991年9月 食道癌で入院。
1994年6月 食道癌の手術
2002年 野口雨情の雨情会の理事長に
2003年7月 脳出血で帝京病院に入院。
タバコの吸いすぎで肺は真っ黒
2004年4月 敬愛病院へ転院。16日逝去

上条恒彦さんは「いぬふぐり」「さとうきび畑」を遺影の前で熱唱
ピート・シガー(現在85歳。奥さんのトシさんも82歳)との交友が深く、この日も追悼のメッセージがよさせられてました。
Dear friends in Japan
Toshi and I will never forget kanYazawa.
We looked forward every year to his bringing over a group to the Clearwater festival in June.
Poeple like him will bring this world together!
A wonderful man.

             with love to you all,
                   Pete Seeger

このメッセージは新英研の関係者からご披露されました。

トリはすすききよしさん。「小梅の糸」で場内は大爆笑。続く「母の願い」は奥さんのみどりさんへ
壇には、左側の写真の方々以外にも

函館労音の方
アコーディオン協会の金子さん
仏教歌手の異名を持つ高岡さん
北海道中標津の獣医さん
神奈川フォークの方
歌手の佐藤光政さんが、遺影に向かって「献歌」されました。

その他、会場でお会いした方々は
うたごえ新聞の大滝記者
大阪ともしびのMiyamotoさん
音楽センターの道田社長さん


「♪とうチャンのためな~~ら」とヨイトマケを歌う奥さんの矢沢見どりさん。78歳で現役のシャンソン歌手として活躍をされてます。
当日、いろいろと解説をしていただいた、Kakutaさん。

1974年頃から17年間、水戸市南町でうたごえ喫茶「たんぽぽ」を主催してました。
その関係で、当日の偲ぶ会では幅広い人脈から、エーちゃんに色々な方々を紹介していただきました。
ロビーには、矢沢さんの写真(このページトップ左)や、愛用のベレー帽、特徴的なめがねが展示されてました。

製作日誌:
平成16年9月4日 偲ぶ会が開催されました。
平成16年9月6日 このレポートを作成
しかし、いずれの写真もピンボケでスイマセン