平成15年12月6日(土曜日)、エーちゃんは、ねがいコネクションのUedaさんと、大阪にある「うたごえ喫茶 People's」を訪問しました。 

HPはhttp://www.city-osaka.com/peoples/

店内の様子はビデオ

毎日放送「ちちんぷいぷい」H16.8.27放送はこちらから(17MB、ご注意!)
常連さんMatsumuraさんのHPにも詳細があります。

朝日新聞でも紹介されました。(H17.1.31夕刊より)




【Poeple'Sの歴史】 
194X年12月12日 オーナーのOkitaさん誕生
195X年 19歳のOkitaさんは、みなみの「どん底」でアルバイト。うたごえの原点に
1994年 外人バーテンを中心にした英会話BarPeople'sを開店
1997年 土曜日のうたごえをスタート
  • ピアノはオーナーのOkitaさん
  • アコは、ゴルフシングルプレーヤーのToriuさん。アコ暦10年とは思えぬハイテク奏法でうたごえを盛り上げます。
  • うたごえリーダーはMuroharaさん。明るく軽いテンポで短時間のうたごえタイムをリードしてます。
  • 歌集はおなじみ「ともしび」歌集を使ってます。


普段はカウンターバー形式の店内ですが、うたごえの土曜日は模様替えして、テーブル席が設営されます。
店の奥は、腰高のテーブル、入り口のほうは普通のテーブル。
写真では見えませんが、入り口から入ってすぐ右手(写真では左側)に4人がけの席もあります。

この日のお客さんは18人。もう2-3人入ると満員というか、もう通勤電車なみ。

RedStoneでもそうですが、関西のうたごえ愛好家はそんなことは全然気にせず、うたに熱中してます。


オリジナル曲もあります:風のように時は過ぎても

LAST 3曲は定番化されており
  • みんなのうた
  • しあわせの歌
  • 今日の日はさようなら



料金は うたごえチャージが2000円。一杯のドリンクがつきます。
とても足りないので、もちろん追加。なんでも500円均一。
おつまみはおせんべいとチョコレートのみ。ぜんぜん足りんよ。
(次回行くときは、たこ焼きを食べてから行かねば)

バックで流れているのは、People'SのOkitaさん的アレンジの「私に人生といえるものがあれば」です。映画Stingのテーマの様なRagTime版の演奏です。


People'Sの一週間
月曜日~金曜日は外人バーテンが英会話のお相手。
あまり使う機会のない英会話のさび付き防止にはうってつけのお店です。

月曜日:Mr.Michael(Australia)
火曜日:Mr.Abheetha(Sri Lanka)
水曜日:Mr.Michael(Australia)
木曜日:Mr.Robert(Sydney)
金曜日:Mr.Robert(USA)

 Yukiちゃんは常連さんの一人です。 




 

大北整子編

Thushaniさんは、
火曜日のバーテンMr.Adneethaの奥さんです。






ふるさと時代
(道頓堀)


相愛大学でクラシックを専攻しているOkitaさんは、韓国の女性、許さんと一緒にアルバイト。
謙遜して、「二人で一人前ですから」と言ったものの、給料が本当に一人前しか払われず、「東京モンはシャレの分からんヤツ」と見切りをつける。
どん底時代
(戎橋商店街)
「うたごえこそ我が生涯」と決断して3年生で相愛を中退。しかし、ある日突然どん底が閉店。
洋酒喫茶+うたごえ路線から華僑Ownerの施さんは当時
流行の兆しの「つり堀」に。それも、♪ある日突然
前の晩も、閉店後、施さんと一緒に食事のあと、「じゃ、明日も」と分かれ、翌日、出勤すると、ブルーシートで建物全体が覆われており、唖然!
昭和38年か、39年の出来事でした。


こだま時代
(阪急東通商店街)
阪急企業㈱が経営する「こだま」は、商業主義的などん底と比べてコーヒー一杯で何時間も粘れる正統派うたごえのお店。
17:00に開店すると、ピアノが伴奏して、歌集を中心にしたうたごえが響きました。
19:00頃からのステージは、ドラム・ベース・アルトサックスを加えたバンド編成でのうたごえタイムになりますが、曲目はうたごえというよりフォークから演歌まで、なんでもゴジャレの感じでした。
Okitaさんはここで昭和47年頃まで活躍します。

お店は、昭和52年ごろにThe End。



ビーデビーデ
(北新地)
昭和47年、Okitaさんは、こだまをやめて、北新地にクラシック専門のラウンジ「ベーデベーデ」を開店。
たまたま開いた歌集にあった北原白秋の歌の歌詞から命名したそうです。

歌詞から花の名だとは分かるのだが、Okitaさんたちの誰もどんな花か知りません。
あるお客さんが調べてくれて、ドイツ語っぽいこの花の名が、実は沖縄の県花「でいご」を指す小笠原諸島の方言だったです。

白秋はアツイ男だったらしく、姦通罪で父島に流されたことがあり、当地で作った詞のようです。

その後、Okitaさんはここの経営を妹さんに任せています。

(取材:JEARNのUEDAさん)


恋愛その1 最初の彼氏は北朝鮮籍で、第57次帰国船にOkitaさんと一緒に乗る予定でした。
が、どういうわけか、彼が帰国をGiveUp。
Okitaさんの原語で歌う「美しきわが故郷」は一聴の価値あり。


恋愛その2 どういうわけか商社マンとの付き合いが続きます。
いずれも、海外駐在員でした。
この影響から、現在のPeople'Sの原型が出来たようです。


【謝辞】
Okitaさんは、初めてのPeople'S訪問にもかかわらず、いろいろと教えていただきました。エーちゃんもプライベートなことまで根掘り葉掘り聞きすぎた嫌いもありますけどね。
でも、Okitaさんも失礼ながらそこそこのお年。記憶も段々と定かではなくなって来てます。
うたごえの歴史も風化する前にしっかりと書きとめておく必要がありますね。
早い時期に「うたごえ喫茶フォーラム」を開催して、30~40年代のうたごえの実態をみんなで語り合い、勘違いや誤解を解消して、正しい事実だけを確認したものを残したいものです。

大阪の歌声喫茶今昔物語をまとめましたので、併せてご一読ください。こちらから


製作日誌:
平成15年12月6日 取材に訪れました
平成15年12月7日 このサイトの作成をスタート
平成15年12月11日 ビデオを編集してアップしました。
平成15年12月20日 ビーデビーデの記述を追加
平成17年3月21日 うたごえリーダーMuroharaさんについて追記。
SpecialThanks to bunbunさん
朝日新聞の記事を掲載
平成17年4月19日 People's in 新宿トミ=東西歌声交歓会についてはこちら
平成17年5月1日 チチンプイプイのTV録画のアップサイトをInfoseekからGeocitiesに引越し