カチューシャ KATIUCHA
【作詞】イサコフスキー ISAKOVSKIJ MIKHAIL VASILEVICH
【作曲】ブランテル BLANTER MATVEJ ISAAKOVICH
【訳詞】関 鑑子
Ρасцветали яблони и груши |
フルバージョン 従来のオルゴール版 ピアノ伴奏 ラグタイム風演奏 和風演奏 |
この歌をはじめて歌ったのが中学の音楽の授業。女の子が頭につけるいわゆるヘアーバンドのカチューシャと混同して、けったいな歌だなと思ってました。ロシアでカチューシャといえば、非常に一般的な女の子の名前。日本で言えばさしずめ花子さん。
H15.5.13 カレンクラフトさんから「カチューシャに秘められた救国の思い」というタイトルのカキコをいただきましたのでここに掲載します
ロシア民謡の代表的な「カチューシャ」曲は1942年に独ソ戦のさなかに作られました。この歌の背景には実話がありました。
1941年11月、ソビエトの首都モスクワに迫ったナチスドイツ軍は近辺の町や村を侵略し放火略奪を繰り返していました。
これに対してモスクワを守るソ連軍は各地で惨敗し首都モスクワまでナチスドイツ軍がわずかのとこまで迫ってきました。
そこでモスクワを守る防衛隊として市民の中から兵を募りそのなかにコムソモール(青年共産同盟)の遊撃隊(彼女たちはカチューシャ「花子」の暗号名で呼ばれてました)としてゾーヤ.コスモデミヤンスカヤという18歳の女性が志願していました。
彼女は第316狙撃師団(男女混成部隊)としてペトリシミベ村のナチスドイツ軍の倉庫を単独で襲撃し放火してドイツ軍に捕まり、拷問を受けてから絞首刑になりました。
しかしその彼女が絞首刑の壇上で死ぬ間際に遠巻きで見守る村人たちに向かって「皆さん悲しまないで、死ぬのは平気ソ連国民のためなら幸せよ!私は死ぬけど2億の絞首刑にはできないわ!ああ同士よナチスを撃ってスターリンとともに!」といって絶命したそうです。
その後ソ連軍はナチスドイツの攻撃を撃破しモスクワは危機をのりこえ反撃に転じたそうです。
首都防衛を果たしたゾーヤたちのような女性青年兵を偲んで「カチューシャ」は作られました。
そして独ソ戦において赤軍を励ます歌だけではなくナチスドイツに侵略されて従属国になった人々への解放の歌として広く人々に知れ渡りました。
製作日誌:
平成10年6月21日 | MIDIデータを作成 |
平成15年7月3日 | コメントの追記 |
平成15年8月2日 | コメントでの年代記述の修正。1942→1941、1943→1942 ロシア語歌詞に読み方を付記 |
平成16年9月20日 | MIDIを手直し。リズムがメチャクチャで、和音もひどかったです。四番まで作りました。 |
平成17年5月14日 | 色々な場所で使っていた違うヴァージョンのカチューシャを統合しました。 |
平成18年5月7日 | ロシア語が間違っているというご指摘がありましたので、ともしびの歌集の参考にして修正しました。 併せて、懸案だったMP3対応に模様替えをしました。 |
平成21年7月9日 | このバージョンだけ歌いやすいように1音下げました。(Em→Dm) |